003


 耳朶を打つ電子音に、泥とも夢ともつかぬ微睡みから引き上げられていくのがわかった。布団に埋もれた手が、音だけを頼りにスマートフォンを探り当てる。つけっぱなしの空調で冷えたものか、寝起きの指先は冷たい。うつ伏せに寝ていたらしい──そう気づくより早く、乾ききった喉は「GSA桜井」という第一声を放っていた。
『情報局当直幕僚の相模です。緊急マニュアルに基づきご連絡しております』
 眠気が混じり込んだこちらとは対照的に、電話口の声は端的だった。連邦高官に、統括室序列第三位に、連邦安全保障問題担当行政官General Security-affairs Assistantにかけるのにふさわしい、慇懃ではあっても無礼ではない声。毛布ごと睡魔を蹴飛ばしながら、「ご苦労さま」と応じる。
 枕元のマグカップを引っ掴み、中身のカフェオレを呷る。表面の膜に顔をしかめた瞬間、制服を着たままベッドに倒れ込んでいたことに気づく。苦い表情は顔だけに留めながら、「どの件かしら」と続きを促す。
『恐れ入ります。ご連絡しましたのはシャーレの先生サブジェクトについてです』
 空にしたマグカップを据え置きの食洗機に放り込んで、眉をひそめる。シャーレが、先生がどうしたと? 壁掛けのデジタル時計に7時42分の時刻を確かめる。「続けて」という声は声にならず、鼻を鳴らして続きを促す羽目になった。
 シャーレから帰宅して2時間足らずで、これだ。思惟はボヤきにもならず、スマートフォンからの声に吹き散らされていく。帰宅後すぐ、旅行カバンを抱えて予定外の単独行動。切り詰められた言葉のひとつひとつが足をもつれさせ、立ち眩みとは無縁なこの身体を揺さぶって過ぎていく。飲んだばかりのカフェオレが喉元までせり上がってくるような、生理的な緊張感。ひとしきり衝撃を受けきった頃には、馴らされた脊髄が「車を回して」と命じていた。
「代行に直接ご説明申し上げる」
 引き剥がすようにしてスマートフォンをベッドに投げ捨て、シワの寄った制服も脱ぎ捨てる。シャワーを浴びる時間は──ええい、浴びてから考えよう。
 泥のようにこびりついた眠気を、少しでも落とさなければ。

 ※

 かろうじて身繕いと着替えだけは済ませたユミは、15分後には統括室所有のSUVに飛び乗っていた。事前にピックアップされていたらしい部下の隣に収まって、後部座席に用意されたマグボトルからコーヒーを喉に流し込む。眠気に鈍った頭をカフェインで叩き起こし、現状を説明できるだけの知性を取り戻すのが、今のユミの仕事だった。
 ステンレスの水筒に口をつけ、頭を振る。うっすら湿ったままの髪が額に貼り付くのが、どうにも鬱陶しい。「乾くまで待ちましたのに」と隣の席で苦笑する部下──行政官補に、ユミは憮然とした顔を向けた。
「間に合うと思ったのよ」
「2時間も寝ていないことを考慮に入れるべきでしたね」
 辛辣な物言いに反論しようとした矢先、「後ろを」と笑顔で続けた部下に口をつぐむ。準備の良さと押し出しの強さでのし上がってきた彼女は、ドライヤーとブラシを取り出してにっこりと微笑んだ。
 こういう場面で、彼女に言い勝てた試しはない。促されるがまま座席に横座りになって、年上の部下に背中を向ける。「事情は聞いてる?」と問う声は、ドライヤーの音に負けじと張り上げざるを得なかった。
「大枠のところは。シャーレの先生が特異な行動をみせたとか」
 ドライヤーを止めればいいものを、わざわざ大声で応じてくるのは、彼女なりに気が急いてのことだろう。肩を竦めるわけにもいかず、大仰な鼻息を返事の代わりにする。訝しむ視線が首筋に痛いが、当のユミにもまったく心当たりのない行動だった。
「シャーレオフィスを離れたのが1時間前。一度自宅に戻ったようですが、その後すぐに外出。大きな荷物を抱えて、オフィスとは別方向の地下鉄に乗車したと」
 統括室情報局が寄越した異常事例報告。身辺警護と行動監視を兼ねた尾行要員が挙げた報告は、情報局当直を経由してユミとその部下のもとへ上がってくる仕組みになっていた。安全保障の取りまとめを任される身のこと、寝入りばなを叩き起こされるのも仕事のうちと覚悟はしている。大人の奇妙な行動で安眠を妨げられるのも、義務と俸給のうちだ。
「迷う素振りもなく、ね。わざわざ切符を買ったというから、寝ぼけてということでもなさそう」
 付け足したユミの耳に、「逃亡、でしょうか」と小声が吹き当てられる。いつの間にかドライヤーは止まっていた。ブラシで髪を梳かれていては振り向くこともできず、ユミは背中で「あり得ない」と打ち返す。
「ずいぶん言い切りますね」
 頑なに聞こえただろうか。意外そうな、ともすれば疑わしそうな声音の部下を後頭部に見ながら、内心に冷や汗を垂らす。言い切れるほどの確証があるわけではないし、それを埋め合わせるほどの実績が先生にあるわけでもない。ユミ個人はともかく、この部下を含めた連邦生徒会全体としては、先生にフリーハンドを許容するほどの信用と信頼を抱いているとは言い難い。そんな中で、シャーレともっとも近しいユミが、先生の行いを頑なに庇い立てるような言動をとっているとなれば……。下手なところに漏れれば、それだけでキャリア生命が終わる。その自覚はユミにもあった。
 片方には連邦生徒会の行政官としての立場があり、もう片方には連邦とシャーレをつなぐ連絡官としての立場がある。シャーレ兼轄から一週間にして、さっそくジレンマに叩き込まれたこの身が吐かせた、条件反射の逃避と言おうか。それとも単に、先生という個人を信じたいというユミ個人の願望が言わせたことと言おうか。
 どちらにせよ、目の前の部下に疑念を持たれるのは避けねばならない。「知らない仲ではないからね」と取り繕う声で間をつなぎながら、眠気に軋む脳をフル回転させる。
「逃げるタイミングなら、これまでにもあった。わざわざ投書の処理をすべて終わらせてから逃げるほど律儀なら、連絡か書き置きのひとつも残しそうなものだと思わない?」
「追っ手に気づいている、という線は?」
「なら、撒く素振りくらいは見せてもいいはず。逃げるつもりならね。先生なりの目的地がある、と考えたほうがシンプルに説明がつく」
 ミルクティーを差し出したときの驚きの顔を思い出す。逃げ支度を済ませた大人が、あの表情をできるものだろうか。あのとき、先生の反応に引け目はなかったように思う。この手の仕事をしていれば、大人の嘘には生理的に敏感になる。私と先生の間に、嘘はなかった。「……いいでしょう」という低い声に、ユミは思わず振り返りそうになる。
「そういうことにしておきます」
 見透かされている。しかし髪を梳く手の動きは、変わらず優しいものだった。知らず強張った肩から、安堵混じりに力を抜いていく。
 とはいえ、だ。「会長代行は、納得されないでしょうね」と呟く部下に、憮然とした鼻息を返す。
「先生の行動をあの人にお伝えするなら、何らかのエクスキューズは用意しておきませんと。……もう、御前会議が始まっている頃です」
 そこに殴り込むことになる、と無言のうちに続けた彼女へ、ブラシが髪から離れた隙に向き直る。整えてもらった髪は、思ったとおりに背中へ流れてくれた。
 御前会議。連邦生徒会長自らが招集し、政策上の重大な懸案事項について取り決めを行う、事実上の最高意思決定機関だ。一行政官にすぎないユミに、本来飛び込みで参加できる道理はない。黙っていてもいいんですよ、という部下の顔に、ふと唇が吊り上がるのがわかった。
 確かに、この情報を伏せておくという選択肢もある。先生の特異行動というネタひとつで、御前会議を引っ掻き回すことのリスクは計り知れない。情報局の報告を待ち、必要なら先生自身からの説明も待って、万端整ってから報告する。それが通常の手順であり、ユミもそれは熟知していた。
 しかし、現下は非常時だ。連邦生徒会長が失踪し、連邦制そのものの存立すら危うくなっている今、独立連邦捜査部〈シャーレ〉は字義どおり起死回生の一手になりうる。連邦安全保障を預かるユミが連絡官世話役としてシャーレに半常駐していたのも、すべてはその一手を適切に管理するためだ。シャーレに異常が見られるなら、それは直ちに連邦安全保障上の問題を構成する……。
 という理屈も、成り立たないではない。扼殺せんばかりに握りしめていたボトルから指を剥がしながら、自身にそう言い聞かせる。私を駆り立てている衝動の正体が何にせよ、打てる手は打つべきだ。
 横紙破りにも等しい越権行為だが、非常事態には非常手段だ。それを許されるだけの実績と信用は積み上げてきている。ステンレスボトルから最後のコーヒーを傾けて、「行脚の手間が省けて助かるよ」と片目を瞑る。ハッタリにすらならない強がりではあっても、この年上の部下には、それにあわせて微笑んでくれる甲斐性があった。
 フロントガラス越しに、サンクトゥムタワーの車受けが口を開けている。先導する警護車両が滑り込んで、警護要員をバラバラと吐き出すのが見える。ショータイムと口内に呟いた瞬間、力の抜けるような電子音が車内を気まずく走り抜けた。
 ふたりして顔を見合わせ、懐に手をやる姿は、ちょっとした寸劇だった。〈モモトーク〉──チャットサービスの間抜けな通知音、ユミのスマートフォンからのものとわかり、部下の凍りついた肩がへなへなと崩れる。「ごめんなさい」と力なく微笑んだユミは、警護のSPが車のドアを開けるまでの数秒、モモトークのメッセージを流し読むことにした。
 連絡が遅れてごめん、から始まる謝罪らしき言葉と、文書のようなものを映した画像。送信者は──「先生からだ」という掠れた声に、ぎょっとした部下がこちらを向いた。似たりよったりな顔になっているのを自覚しながら、食い入るようにメッセージを読み直す。
「アビドス高等学校からの救援要請を受け、現地に向かいます。事後報告になってごめんね……ということらしい」
 ぽかん、と口を大きく開けた行政官補は、力なく首を横に振って座席に崩れ落ちる。組織的襲撃、物資の払底、救援依頼。読み進めるごとに、血の気の引く音が耳を聾していく。待て、という言葉がユミの口を衝いて出たのは、ちょうどSPがドアに手をかけた瞬間だった。
「行政官?」
 怪訝な顔をしたSP班のチーフが、ユミ越しに行政官補をちらりと見やる。理性を尽くして復調し、ユミのスマホを横から覗くのに余念がない彼女は、視線に気づいてもドアを顎で示したきりだった。諦めて後部座席のドアを閉めたSPに横目で謝意を送りながら、ユミは次へ次へとスマホの画面を繰る。
 度重なるハラスメント攻撃で装備弾薬類の補給もままならず、自治区行政どころか学校自体の施設管理も立ち行かない。自治区や学校のありようとして末期に近い状況が二年や三年で招来するとは考えにくく、その根本的な原因の所在がどこにあるとしても、少なくとも現世代の生徒に帰責して終わる問題ではないことは明白である──。
 当人たちの自助努力では解消不能な学習権侵害。独立連邦捜査部による即時介入は、そのワイルドカードによって正当化されていた。「……むちゃくちゃですよ、こんなの」行政官補が呟いた言葉がすべてだった。
 そう、むちゃくちゃだ。こんな内容を、御前会議に乗り込んでいって説明しろというのか? 当人たちに帰責するのが不適切な学習権侵害事態への介入要請を承諾し、先生がアビドス高等学校に向かいました、とでも? 要請内容の合理性を判断するのが先生なら、最終的に要請を受諾するか否かを決定するのも先生で、現地で対応措置を取るのも先生だ。学習権侵害などという何でもあり、言った者勝ちな理由ひとつでシャーレが動くという前例が、今後どのような副作用を引き起こすものか。「まいったな……」という言葉に頭痛が宿る気がして、ユミはぐっと唇を引き結んだ。
 そもそも、その連絡とやらは、いったいどのルートで舞い込んだのだ? 送られてきた画像にある便箋には、悲壮感漂う文面が丁寧な手書きでしたためられている。画像に映り込んだ机の天板を見るに、撮影場所はシャーレオフィスにある先生の執務机だ。この手紙は物理的にシャーレオフィスに届いたものと見ていい。先生はオフィスから自宅に帰った後、そのままアビドスに向けて出発したから、撮影したのは自宅に帰る前だ。つまり、ユミがシャーレにいたあのとき、ミルクティーを飲み交わしていたあのとき、手紙はすでにシャーレにあったのだ。
 それに、この手紙は、うまい。「奥空……知らない名前ですね」という部下も、それに気づいているらしい。
 この手紙は、煎じ詰めれば『装備弾薬類の支援』しか要請していない。地域の暴力集団に校舎が狙われているという経緯や、シャーレのことを知った経緯も、すべては枝葉末節だ。挙げ句、力になってほしいという言葉で結んで、手段の選定はシャーレに委ねている。
 文面だけで考えれば、物資満載のコンテナを輸送機で運び込むだけでもいい。それでも、アビドスにとっては時間稼ぎになるし、シャーレが事態に介入したという事実を武器にできる。しかし、シャーレの先生に関して流されている風説を加味すれば、それ以上の援助を期待しているのは間違いない。得られる利を最大化するために、リスクを冒してでも曖昧な書き方に留めてあるのだ。
 くそ、何という体たらくだ。私の直接監視下にありながら、こんな手紙一通が先生の手元に忍び込むのを阻止できなかったとは。無益な自責の念が湧いて出てくるのを止めようとして果たせず、眉間にシワが寄る。ぐりぐりと指の腹でほぐしてやっても、後悔ばかりが後から後から顔を見せて、シワをより深く刻んでいく。だから、「しかし、さすが桜井行政官ですね」という場違いな言葉に、ユミは呆気にとられた顔を向けることしかできなかった。
「なんです、その顔。先生にいろいろ仕込んだのは行政官でしょう?」
 行政官補の言葉の先が見えず、さりとて首を傾げるわけにもいかず、曖昧に笑うことしかできない。部下相手にもこのザマか、と自嘲の笑みが漏れるより一瞬早く、「投書を持ち込むって聞いたときは、正直どうなることかと思いましたが」と彼女は続く言葉を発してくれていた。
「キヴォトス全土の状況、三大校と主要民間セクターの入り組んだ事情を伝えるには、生きた情報を教材にレクチャーするのが早いって、そういうんでしょう? 先生の理解力もあるんでしょうけど、この手紙一枚でここまで言い訳を──」
 びき、と頭痛が邪魔をして、続く言葉は聞こえてこなかった。こびりついていた違和感が顔を覗かせ、やっと気づいたかと言わんばかりに首をもたげてくる。頭を横に振って思考から些事を散らし、先生のメッセージを再び読み返す。
 そうだ。問題は手紙の入手経路ではなく、手紙を受けた先生の反応だ。
 ユミが見ていた限り、先生は夜を徹して投書の一枚一枚に真摯に目を通し、処理を続けていた。その間、手元のパソコンやタブレットを触っていた様子はなかったように思う。仮に触っていたとしても、ごく僅かな時間だろう。少なくとも、この手紙の裏を取るような使い方はしていなかった。
 だとすると、先生がこれらの情報を調べたのは、ユミがミルクティーを飲み干して帰宅の途についてからということになる。いや、手紙自体も、先生がシャーレでひとりきりになってから開いた可能性さえある。連邦安全保障の専門家が隣にいるなら、下調べに時間を割くよりも、直接聞いたほうが早い。ご親切にも手紙には、連邦生徒会の窮状を察する旨まで書いているではないか。連邦が現状どのような手を講じているのか、それともいないのかくらいは、遠回しにでも質問してくるはずだ。
 先生のメッセージを、また読み返す。なるほど、装備弾薬類が底を突きかけていることは、届いた手紙にも記載がある。では、自治区行政はどうだ、学校の施設管理は? おそらく、手紙の主は敢えてそれらを書かなかった。物資投下ひとつとってもリスクがあると思われれば、アビドスの首が締まるだけで終わってしまう。先生が連邦生徒会に頼らず即断できるように、情報を限定したにちがいない。
 手紙の主の思惑とは裏腹に、先生は入念に下調べをした。その上で事態への介入を決断し、実際に現地に赴くことに決めた。ああ、間違いなく、手紙を開いたのはこの三時間以内のことだ。ユミに納得させるためにこれだけの筋道が必要と思いつく先生が、直接話を聞き出すことを考えつかないはずがない。
 だからこそ、この情報の質が違和感として浮き彫りになるのだ。「しっかりしてください」と肩を揺さぶられ、考えに沈んでいた意識が車内に立ち返る。
「まだおネムですか? 私の分でよければ、まだコーヒーありますよ」
 どうやらずっと話しかけられていたらしい、と悟って、明確に首を横に振る。掴まえかけた答えの端緒をきっちり掴むために、ユミは「ねえ」とひと言めを慎重に切り出す。
「キヴォトスには数千の学校がひしめいているわけだけど、ある特定の学校の施設管理状態について急いで調べるとして、あなたなら何に当たる?」
 絞り出した声音はずいぶんとフラットだった。まるで世間話かのような、何でもない風を装った、しかし核心を得るための一手。それがそうだと自覚するまでに、「急ですね」と呆れた部下が、背もたれに身体を委ねて考え込む。
「まず当たるならセントラルネットワークでしょう。連邦生徒会のあらゆる部署が、あそこにすべての情報を蓄積している。検索ワード次第ですが、コーパスもインデックスも日進月歩ですからね」
「まったくの素人でも?」
「そこまでは。それなりに勘所を掴んでいないとゴミ山を漁るが如しでしょうし、まずもってセキュリティクリアランスの問題が──」
 言いかけた部下が、まさかという顔をこちらに向ける。恐慌寸前の表情に思わず顔をほころばせながら、ユミはスマートフォンの画面を消灯した。
「先生にも、セントラルネットワークへのアクセス権限は与えられている。実際、シャーレにもセントラルネットワークに接続可能な端末があるからね。けれど、先生は連邦生徒会役員ではない。当然、バックグラウンドチェックは必須。標準様式SF86号の提出もね。そしてここからが肝心なんだけど、その書類の最終決裁者である私の手元には、未だ先生の書類は来ていない」
「不正アクセスですか」
「いいえ、もうひとつある。合法的な抜け道……というより、正当なアクセス方法。私たちも散々困らされた、アレよ」
 連邦生徒会セキュリティクリアランスの最終担保者、機密情報の指定と解除に関する最高権限を有する者。セントラルネットワークの最終管理者、サンクトゥムタワーの管理権限保持者。連邦生徒会の最高責任者にして、キヴォトスの最高指導者──。
「連邦生徒会長は、セキュリティクリアランスを必要としない。彼女が、セキュリティクリアランスを定めるから」
 彼女への日例報告を思い出す。朝三時に起きて、各所からレポートを受け取り、サンクトゥムタワーで情報局と事前ミーティング。遅くとも朝六時までには報告書をまとめて、日例報告出席者分を印刷し、首席行政官に直接手渡す。そのまま統括室オフィスで朝食をコーヒーで流し込みながら、寝ている間に舞い込んだ報告を頭に叩き込む。セントラルネットワークを駆使すれば、ユミに提出された報告書の原文を閲覧することも連邦生徒会長には可能であり、彼女はよくそれをやっていた。
 存在も知らない報告書のことを質問される、あの座りの悪さときたら!
「そして彼女には、自分と同じだけのアクセス権限を他人に与える権限もある。シャーレに超法規的権限を与えられるようにね」
 口内に何事かを呟いて、行政官補は座席に崩れ落ちる。クソだの何だの好きに呟けばいい、私だってそうしたい気分だ。
 先生の情報源はセントラルネットワーク、正確にはそこから入り込める統括室情報局の脅威評価データベース。キヴォトス全土で数千にも及ぶ学園を脅威レベルごとに分類し、それぞれに情報収集の優先度を割り当て、関連する情報を紐づけた膨大なものだ。そしてアビドス高等学校は、かねてからのリスク要因が災いして、その規模に反した第一級脅威Tier1として採番されている。そこさえ突き止めてしまえば、あとは芋づる式に情報を仕入れられるという寸法だ。
 セントラルネットワークに蓄積された各種レポートを情報源に、先生は意思決定をして、実際に動いた。誰かに脅されて、というのではない。奥空某の口車に乗せられたのでもない。先生は自分で調べ、検討し、決定し、動いたのだ。
 では、連邦は? その自問が脳をスパークさせ、「急ごう」という言葉と共に身体へ火が入った。蹴り破るように後部座席のドアを開けて、SPと行政官補を置き去りにしながらサンクトゥムタワーのエントランスをくぐる。
 先生とアビドスに対して、連邦生徒会として統一的な方針を打ち出す必要がある。支援するのか、静観するのか、あるいは掣肘するのか。後付けではあっても……いや、だからこそ、迅速さが最優先だ。平時の規則を問答している場合ではない。問われているのは我々の旗幟であり、問うているのは先生なのだ。
 キヴォトス中からの眼差しが先生と連邦生徒会の両方に向いている以上、静観はあり得ない。連邦生徒会長が設立し正当性を与えた機関相手に、連邦生徒会長を欠いた連邦が掣肘する? 問題外だ。泡を食って追いついた行政官補に部下を集めておくように指示を出しながら、ユミはちょうど到着したエレベーターに飛び乗った。
 眠気は、いつの間にか醒めていた。